鮨と國酒の歴史についての説明です(マニアックですみません)。
鮨と國酒の歴史
🍣鮨の歴史
日本における鮨の起源から現代までの発展をご紹介します。
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710年~794年(奈良時代)近江国(現在の滋賀県)や若狭国(現在の福井県南部)から朝廷に、アワビやイガイ、タイなどのスシが貢納(『養老令』の『賦役令』より)。
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794年~1185年(平安時代)諸国から朝廷への貢ぎ物としてスシが多く登場するようになる(905年に醍醐天皇の命によって編纂が開始された『延喜式』より)。使用されていた魚介類はアユ、フナ、サケ、アメノウオ、アワビ、ホヤ、イガイなど。
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1185年~1189年(文治年間)現存する最古の鮓店「つるべすし 弥助」が奈良県吉野に誕生。
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江戸時代初期従来のナレズシよりも発酵期間が短い「生成れ」と呼ばれる手法が確立する。和歌山のサバすしは、鯖を1ヶ月以上塩漬けして、真水で塩抜きし、塩飯と合わせて、アセの葉を巻いて桶に漬け、1週間から10日ほど発酵させて作る。
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1688年~1704年(江戸時代、元禄年間)米酢(酢酸発酵させた清酒が原料)が用いられるようになり、米を乳酸発酵させる必要性が低くなった。それにともない、「早ずし」や「押しずし」が生み出される。
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1804年~1831年(江戸時代、文化・文政年間)赤酢(酢酸発酵させた酒粕が原料)の発明と、「江戸前鮨」=「握り鮨」の誕生。「與兵衛壽司」(創業1824年)の華屋與兵衛(小泉與兵衛)、もしくは「松が鮨(松の鮨)」(創業1830年)の堺屋松五郎が始祖と言われる。
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1866年(慶応2年)浅草で「弁天山美家古寿司」が創業される。
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1868年~1912年(明治時代)、1912年~1926年(大正時代)明治時代に氷の製造が始められ、江戸前鮨が一層普及する。同時に、大阪では大阪特有の「箱すし」が進歩を遂げ、「2寸6分の懐石料理」と言われるまでになる。※この時点では江戸前鮨はあくまでも東京の郷土料理であった
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1877年(明治10年)銀座に「二葉鮨」が創業される。
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1879年(明治12年)日本橋に「吉野鮨本店」が創業される。
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1923年(大正12年)人形町に「㐂寿司(喜寿司)」が創業される。
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1923年(大正12年)関東大震災が発生し、震災で多くの鮨職人が家を失った結果、日本全国に散った。そして、江戸前鮨店を開いたことで全国に江戸前鮨が普及することになる。
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1935年(昭和10年)今田壽治 氏が銀座に「銀座久兵衛」を創業。「与志乃」、「奈加田」とともに「銀座御三家」と呼ばれるようになる。
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1947~1948年(昭和22~23年)「飲食営業緊急措置令」下でほぼ全ての飲食店が休業を余儀なくされる中、江戸前鮨については「持参米鮨委託加工制度」が適用されることになり、江戸前鮨がさらに普及する。
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1958年(昭和33年)大阪の「元禄寿司」で回転寿司が誕生する。
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1961年(昭和36年)11月1日全国すし商生活衛生同業組合連合会が「寿司の日」を制定する。
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1965年(昭和40年)小野二郎 氏が銀座に「すきやばし次郎」を創業。
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1972年(昭和47年)東京の「小僧寿し」が店舗スタイルの持ち帰り専門店をチェーン展開する(加盟店27店舗からのスタート)。
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1978年(昭和53年)「元禄寿司」が所持していた「コンベア式旋回食事台」の特許が切れたため、回転寿司店が数多く誕生する。
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1989年(平成元年)中澤圭二 氏が「すし匠」を創業(その後、 2016年ハワイに出店、2024年にニューヨークに出店)。
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2007年(平成19年)ミシュランが日本に上陸し、「すきやばし次郎」と「鮨 水谷」が3ツ星を獲得する。
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2011年(平成23年)ドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』が公開され、鮨が世界的に注目される。
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2016年(平成28年)東京で鮨の人気が急上昇し、「鮨バブル」と呼ばれる現象が起きる。
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2024年(令和6年)世界各地でOMAKASEの鮨が流行する。訪日外国人旅行者数が過去最高を記録する。
🍶清酒の歴史
日本が誇る醸造酒、清酒(日本酒)の歴史と発展をご紹介します。
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神話時代高橋活日命(たかはしいくひのみこと)が日本初の杜氏として活躍する。
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250年『魏志 東夷伝』に「倭国の酒」の表記が登場する。
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400年『播磨国風土記』に「清酒(すみさけ)」の表記が初めて登場する。
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689年(持統3年)宮内省「造酒司(みきのつかさ)に「酒部(さかべ)」=醸造実務担当者を組み入れる。
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927年(延長5年)『延喜式』が選進され、造酒司の酒造法が明らかにされる。
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1233年(天福1年)『金剛寺文書』により、寺院で酒造りが行われていたことがわかる。
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1355年(正平10年/文和4年)奈良の「菩提山正暦寺」にて、生酛系酒母のもととなる「菩提酛」造りが開発され、段仕込みや火入れ殺菌など現代に通じる技術が生み出される(『御酒之日記』より)。
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1598年(慶長3年)豊臣秀吉が「醍醐の花見」で諸国の名酒を献上させ、「加賀の菊酒」を絶賛した。
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1740年(元文5年)伊丹の「剣菱」が「将軍御膳酒」に指定される。
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1840年(天保11年)山邑太左衛門が「宮水」を発見=灘が銘醸地となるきっかけ。
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1878年(明治11年)ビン詰めの日本酒が登場する。
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1887年(明治20年代)~広島で三浦仙三郎が「軟水醸造法」を開発する(吟醸酒造りの先駆け)。
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1907年(明治40年)「全国清酒品評会」が開催され、広島の酒蔵が灘、伏見を圧倒する。
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1909年(明治42年)嘉儀金一郎が「山卸廃止酛」を開発する。
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1910年(明治43年)江田鎌治郎が「速醸酛」を開発する。
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1911年(明治44年)第一回「全国新酒鑑評会」が開催され、京都の月桂冠が1位となる。
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1933年(昭和8年)広島のサタケが「堅型精米機」を発明し、吟醸酒造りが可能となる。
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1978年(昭和53年)10月1日日本酒造組合中央会が「日本酒の日」を制定する。
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1992年(平成4年)級別制度が廃止される。
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2006年(平成18年)酒税法で「三倍増醸酒(三増酒)」が廃止される。
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2024年(令和6年)日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録される。
🥃焼酎の歴史
日本が誇る蒸留酒、焼酎の起源から現代までの変遷をご紹介します。
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15世紀(室町時代中期)頃沖縄で初めて単式蒸留焼酎が蒸留される。琉球王国にシャム国(タイ)から「南蛮酒」と呼ばれる蒸留酒が伝わり、「泡盛」誕生のきっかけとなる。その後、製法が沖縄から薩摩(鹿児島)へ伝わり、焼酎造りの製法が日本全国へ広まったとされる。
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1546年(天文15年)ポルトガル商人ホルヘ・アルバレスが『日本の諸事に関する報告』の中で、「山川地域(現在の鹿児島県指宿市)では米から作られたオラーカ(蒸留酒)を飲んでいた」と書いている。
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1559年(永禄2年)日本で焼酎に関する最も古い記録。鹿児島で神社の工事に携わっていた大工が施主への文句を書いている。「座主が大変なケチで焼酎を一度も振る舞わず、迷惑なことだ」
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16世紀末~17世紀初め(江戸時代中期)米焼酎が熊本県・球磨地方で作られ始める。
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17世紀頃麦焼酎が長崎県・壱岐島で作られ始める。
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17世紀頃酒粕焼酎=粕取り焼酎が福岡県で作られ始める。
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1690年頃琉球王国から鹿児島県・奄美群島に製造技術が伝わり、黒糖焼酎が作られ始める。
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1698年(元禄11年)琉球王国から鹿児島の種子島にさつまいもの苗が伝来する。シラス台地では米よりも栽培しやすいため普及していく。
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1705年(宝永2年)琉球王国から鹿児島の山川にさつまいもの苗が伝来する。
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19世紀半ば(幕末期)薩摩から伊豆諸島に芋焼酎の製造法が伝来する(密貿易の罪で八丈島に流された薩摩の貿易商人、丹宗庄右衛門が伝えたとされる)。
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1900~1910年二次もろみ製法が誕生する。
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1912年(大正元年)「近代焼酎の父」と呼ばれる麹の研究者・河内源一郎が、泡盛作りの麹菌から黒麹の分離に成功する。
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1918年(大正7年)河内源一郎が、黒麹菌の突然変異体である白麹菌を発見し、純粋培養に成功する。
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1951年(昭和26年)麦の統制が撤廃されて、大分県で麦焼酎の製造が積極化する。
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1973年(昭和48年)福岡県の「喜多屋」が減圧蒸留器を発明する。
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1973年(昭和48年)そば焼酎が宮崎県北西部、高千穂地方の五ヶ瀬町で作られ始める。
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1970年代後半第一次焼酎ブーム
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2000年代前半第二次焼酎ブーム